3章 師匠と幼馴染が出会った日

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「ちゃんと説明して欲しいな……拓ちゃん」
 あれから、時間が押してきたということで、リンは自分の中学へ、桜子とオレは高校内の自分のクラスへと向かうことになった。ちなみに桜子とは同じクラスだ。
 その途中、隣を歩く桜子からは、そんなことばが幾度となく繰り返されていた。しかし、オレはその質問の雨には答えることができない。
 なぜなら、リンには、
”魔法のことを他の人に言っちゃダメだよ。特に桜子には!”
 と、やたら”特に桜子には”を強調して耳打ちされていたし、第一、説明して欲しいのはオレの方だ。今オレの置かれている状況、自分でもさっぱり分からない。 それなのに、他人の質問に答えられるはずなどなかった。
「ねえ拓ちゃん」
 普段はどちらかといえば身を引くことの多い桜子なのだが、今日はやけに食い下がる。
 そういえば、先ほどの桜子とリンの態度はなんだったのだろうか。今までも何度か、桜子の、怒っているというか、すねている感じの表情や雰囲気は見てきたが、あのときの 桜子は今までみたことがない。威圧感がすごく出ていた気がした。リンにしても、数日間で見たのは、笑顔やわざとらしく怒っている表情など、なにかしら顔に 書いてあったのだが、今回は逆に無表情で、何を考えているか全く分からなかった。
「拓ちゃん!」
 オレが無視を決め込み、いろいろと思案していると、そんなオレの態度に耐えかねたのか、桜子がオレの目の前まで顔を近づけてきた。
「うわっ」
 思わずオレは身をひいてしまったが、すぐにしまった、と思う。
「あ、ごめんなさい……」
 怒涛の、とまではいえないものの、結構な勢いがあった桜子は、急にシュンとなって下を向いてしまった。
 オレが身をひいたのは、決して桜子を嫌がったわけではない。単純に異性の顔が近くにあったのを驚いただけだ。だが、それが桜子に通じているかどうか。
「あの、えーと……」
 何か言わないといけないとは思うのだが、やはり言葉につまる。なんでオレはこうもことばにするのが苦手なのか。ほとほと嫌気がさしてくる
 嫌な雰囲気だ、本当に嫌な。
 桜子とは、結構仲がいいと自分では思っている。よく高校へ一緒に行くし、クラスでも秀也と同じくらい話していると思う。それなのに、たまにこういう雰囲気になったときは、 いつもことばがでてこない。いくら幼馴染だとはいえ、桜子も結局は女の子、だからなのだろうか。
「ようっ」
 そんなときだった。
「うひゃああ?!」
 不意に背後から声がし、それに過剰に反応した桜子は、一瞬その場で跳ねたかと思うと、次の瞬間には少し先の壁に激突していた。またものの見事に顔面から。
 声をかけた主は、嫌な雰囲気を打開する救いの神、というにはほど遠いが、それでも少しは役にたつ秀也だった。
「ったくサクラ、その反応、毎回毎回傷つくって」
 頭をポリポリかきながら、さっきまで桜子がいたポジションに、秀也が来る。ニヤケ顔はいつものことだ。
「あうぅ……ごめんなさい天野くん……」
「まぁ慣れたけどな……っと、今日はピンクか」
 毎度ご丁寧に赤くなる鼻先をさする桜子は、目尻に涙を浮かべてかすれ声。対する秀也は、ニヤケどころか、越後屋よろしく悪い笑み。
 実は秀也が現れてからの一連の流れ、これは毎朝決まって起こる日常イベントだ。このあとに来る桜子のセリフは決まって、
「ひぁぁぁ?! 見ないで拓ちゃん天野くんっ?!」
 こうだ。足を閉じてスカートを押さえるスピードの早いこと。
 秀也は毎朝、わざと後ろから桜子に声をかけ、桜子はそれに、わざとではないかと思うほどの驚きようで壁に激突、顔面から。そして最後には、体操座りのような格好で 床に座り込み、そこで見えるあれを、秀也が覗くというわけだ。
 そこにオレの名前が出てくるのは心外だが、あながち間違っていないので反論はできない。正直、毎朝ごちそうさまです。
 いつのまにか、嫌な雰囲気などどこかへ消え去り、ここにはいつものほのぼのとした空気が流れていた。桜子から質問攻めされることもなく、その日は何事もなく 高校での一日を終えた。

 校門でリンと出会うまでは。
「……」
「……」
 デジャヴか。
 今日オレは、いつものように秀也、そして帰りは一緒になることが少ない桜子と共に帰ることにしていた。今思えば、なんと浅はかだったのか。
 リンと桜子の間には、今朝同様の、いや、それ以上の不穏な空気な流れていた。どちらもたまに、少し後ろを歩くオレの方をちらちらと見ている気がする。
「……拓斗、とりあえず一発殴らせろ」
 秀也はすでに拳を振りかぶった状態でオレに言う。なぜだ。
「えっと、なんで海美さんがここにいるんですか……?」
 そんなとき、ようやくリンと桜子の間で会話が始まる。先に口を開いたのは桜子で、様子を伺うように尋ねる。
「拓斗くんを迎えに来たんだよ」
 つっけんどんに答えるリン。やはり、らしくない。
「迎えに来たんですか……?」
 それにしても桜子、どんなに相手が嫌な対応をしてきても、初対面ゆえか律儀にも敬語を使っている。このあたりは桜子らしいが、語尾になるにつれて声が小さくなるあたり、 そろそろ限界か。出るのか、あれが。裏桜子が。
 それは個人的な命名で、認知度はゼロなのだが、桜子は、稀に突然暴れだすときがあるのだ。最近は滅多に見ることはないが、あれは血を見る。 その暴れようは、ことばにはできない。強いてもあげられない。天才画家が作り出す絶妙な色をことばで表せないのと同じで、表すべきことばがないのだ。
 これは仲裁に入らなくては。桜子はそれがあるし、リンの方も、本人の話の上では魔法使い。何が起こるかわかったものではない。
「あ、あのぉ〜」
 戦車に素手で突っ込む覚悟、それを持っていったつもりだった。だが、
「何?!」
「何?!」
 こんなときだけ二人の息はぴったりで、オレは睨みをもらうことになった。いや、それだけならよかった。
 オレの行動は、完全に火に油、それどころか、そこに慌てて水を加えたために、油と水が反発してさらに大変なことに、というかんじだ。
「リンはレイちゃんと拓斗くんと一緒に住むんだもん、これから拓斗くんにいろいろと教えないといけないからそれは当然ってことだよね、昨日の夜だって拓斗くんリンの ベッドで寝たし」
 リンはヒートアップして、ほとんど区切ることなく、一息でそう言うが、どう言ったかなどどうでもいい。
 一緒に住むとはなんだ。教えられるものとはなんだ。そして最後のリンのベッドで寝たこと、そんな言い回しをされては、まるでオレとリンが一緒に寝たみたいではないか。 それは朝方オレが見た夢で、残念ながら現実には起こっていない。
「拓ちゃん!」
「拓斗ぅぉ!」
 一瞬今朝の回想に入ったオレだが、次の瞬間目に入ったのは、桜子と秀也の鬼の形相だった。
「一緒に住むって? 教えることって? 一緒に寝たって??」
 それを質問したいのはオレのほうだ。桜子は少し目に涙を浮かべて、両手を胸にあてて言った。
「食ったのか、食っちまったのか、あんなかわいい子を〜〜?!」
 この男は無視するにかぎる。話がややこしくなる。
「うん、食べたよ拓斗くんは」
「え?」
 今リンは何と言ったのか。オレは自分の耳を疑う。油の入った鍋はひっくり返された。
「た、拓ちゃん……」
 ゆっくりと後ずさりする桜子。その汚い物を見るかのような目はやめてくれ。
 隣では秀也が、頭から何十キロかの重りをつるしているのではないかと思うほどの勢いで倒れていた。
 オレはそんなことしていない。まさか今朝のあれは夢ではなかったのか。だとしたら、かなりまずい。なんてことをしてしまったんだ。
 いつのまにか十メートル近く離れてしまった桜子。頭が地面にめりこんでしまったのかと思うほどの秀也。首をかしげているリン。そして時が止まったんじゃないかと 思っているオレ。

 さきほどのリンのことばが、単にハンバーグをオレに食べさせた、という意味だと知ったのは、それから数時間たった後だった。



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