3章 師匠と幼馴染が出会った日

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「ゴメンね、拓斗くん、ゴメンね?」
 またしても気絶してしまったオレだったが、あのあと海美さんが必死に看病してくれたらしく、なんとか今は復活できていた。だが、額の辺りはまだ少し痛みが残る。
 結局のところ、昨日の海美さんの火や、今朝の山綺さんの謎の痛みは、なんだったのだろうか。やはり、二人の言うように、本当に魔法などというものは存在するのだろうか。 確かに、それらの現象は、少なくともオレにはなんらかのトリックを使ったとは思えないし、第一、体がそれを証明している。それに、初めて二人に会ったときの、空を飛ばされた こと、これはどう考えても異常現象だ。これは、いよいよ信じないといけない、ということなのだろうか。いや、オレはすでに、魔法という存在を認めてしまっているのだと 思う。だが、自分の中の常識が、どこかでそれを拒んでいるのだ。
 海美さんと山綺さんは、アブナイヒトなんてものではなく、むしろすごくいい人達なんだと思う。たった一日接してみただけだが、それがよく分かった。 ゆえにオレは、そんな二人を信じられていない自分が嫌になってきていた。しかしながら、やはり魔法というものは、簡単には体に、心に馴染んでくれないようで、 何度も同じ自問を繰り返しているが、未だ行き着く先はそこだった。
 それでも今は、海美さん達のマンションから高校へと向かっていた。格好は、昨日から制服を脱いでないし、荷物もたいていは高校に置いてあるので、そのあたりの問題はなかった。 問題があるとすれば、また海美さんと手を繋いでいることくらいだ。
「大丈夫ですよ、痛かったけど。でも、ベッド借りちゃってすいませんでした」
 目を潤ませて謝る海美さんを、非難することなんてできるはずがなかった。そもそも今朝のことは、海美さんが謝ることではない。むしろ、目の保養だった。
 もっと気のきいたことを言いたかったが、いかんせん女の子との付き合いが希薄だったオレは、苦笑いをしながらそんなことしか言えなかった。
「そんなのいいよぅ。でもでも、リンのベッド……その、変な臭いとかしなかった? 気絶した拓斗くんをすぐにベッドに運んだから、シーツとか換える余裕なくって……」
 ベッドの話をふってしまったのはオレだが、顔が熱を帯びていることに気づき、すぐに後悔した。
 変な臭いなどするはずがない。あまり覚えていないが、女の子っぽいいい匂いしかしなかったと思う。
 それを伝えればいいものの、妙に気恥ずかしくて、
「そんなことなかったですよ、海美さん」
 またしても苦笑いを浮かべつつ、そう言うことしかできなかった。つくづくオレという男は。
「そっか、よかった〜」
 海美さんは、安堵の表情を浮かべ、文字通り胸を撫で下ろした。こういうところを気にするのは、やはり女の子だからだろう。そんな面を見せられると、また魅かれてしまう反面、 現実的ゆえに魔法という存在が遠のいてしまう。
「あ、ところでさ、リンのこと”海美さん”って呼ぶのやめてくれないカナ? 名前を呼び捨てにして欲しいなぁ。あと、敬語もやめてほしいかも。 いくらリンが親になるといっても、リンの方が年下なわけだし、やっぱりコミュニケーションを とるなら名前で呼び合って気兼ねなく話すほうがいいと思うんだよね。だいたい魔の者の姓って、ランクを示してるだけだから、本来名前じゃないんだよ〜」
 しかし、続けて言ったそのことばで、オレのベッドで一杯だった頭の中が、ハテナマークで一杯になった。
 名前で呼べということと、敬語をやめろということは、多少恥ずかしいが、意味としては十分に分かる。ただ、問題はそのあとだ。
 親になる。魔の者の姓はランクを示し、名前ではない。なんの話をしているのだろうか。そういえば昨日から、よく分からない単語を聞いていた気がする。
 そもそも、冷静に考えると、なぜオレは海美さん達についていくことになったのだったか。”魔人に育てます”。たしかそんなことを言っていたが、 少なくとも昨日そんな兆候は見られなかった。せいぜい魔法のようなものを見せられたくらいだ。気絶したが。結局昨日は、夕飯をご馳走になり、 泊まってきただけで、ただのお泊まり会同然だった。
「あ、分かりまし……分かったよ、リン」
 それでもオレがそのことを問わなかったのは、高校に近づいてきたため、辺りにちらほらと同じ高校の生徒と思しき人影が見え始め、そのハテナマークの原因達よりも、 リンと手を繋いでいることのほうが気になり始めたからだ。勿論単純に手を繋ぐのは恥ずかしいが、 やはり、他人に見られるのはそれ以上だ。ゆえにオレは、疑問をひとまず後回しにし、少し強引に、繋いでいた手を離した。
「……? うん、それでおっけ〜」
 リンは、一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに笑顔になり、ウインクしつつ親指をグッと突き出した。
 なぜ手を離すのか、などと問われたらどうしようかと思ったが、そうされることはなかった。恥ずかしいと打ち明けることが、なぜか恥ずかしい。恥ずかしがってばかりだ。
 それでも、今度はこちらが安堵することになった。
 そして、少し落ち着いたオレは、なんとなく辺りを見渡すと、少し前に、見慣れた後ろ姿があることに気づいた。
「あ……桜子、おはよっ」
 そこにいたのは、オレの家と彼女の家が隣通しだったため、幼馴染の、南桜子だった。
 オレは、挨拶のつもりで桜子の肩を軽く叩く。そう、本当に軽く叩いただけのはずだった。だが、
「あひゃいやぁぁぁ?! ふわぁぁ?!」
 桜子は奇声をあげて、数メートル走ったあと、何もない平面で転んでしまった。しかも、見事に顔面から着地した。
「ご、ごめん桜子……大丈夫?」
 ここ数日でたくさんのことがあったせいか、桜子が異常に、それも”ド”がつくほど異常に臆病だったのを忘れてしまっていた。今までも、今回のような場合や、 たまに一緒に高校に行く際に家の前で挨拶をするときなども、後ろから声をかけると、おかしいんじゃないかと思うほどの反応をしていた。
 罪悪感に居た堪れなくなりながらも、赤くなった鼻先をこすっている桜子に手を差し出す。
「ふぁぁ……なんだ、拓ちゃんかぁ……。ごめんなさい、いっつもあたしこんなで……」
 桜子はその手に応じて立ち上がると、半べそになりながらも、乱れた着衣を直してそう言った。
「で、でもきっと直して見せるから……。頑張ります」
 そして、すぐに気をとりなおしたかと思うと、あまりない胸に両手をあてて、そう宣言した。両手を胸にあてるのは桜子のクセだが、その宣言、聞き飽きた。
「た〜く〜と〜くぅ〜〜ん」
 オレが桜子をハイハイと受け流していると、後ろから甘ったるい声とともに、背中にのしかかって来る人がいた。こんなことをする人は一人しかいない、リンだ。リンはそのまま 手を後ろから前に回してくる。
「ちょ、リン! やめろよ!」
「だってぇ〜、リン待つの苦手なんだもん〜」
 間違いなく赤面中。手を繋いでいるのでさえ恥ずかしかったのに、抱きつかれるなどもってのほかだ。周りからの視線も痛い。そして、一際厳しい視線を浴びせる人物が、 目の前にいる。
「拓ちゃん……えっと……」
 桜子だ。心なしか、口元がひくついているように見える。頬も少し赤い気がする。
「ああ、この子は……」
「ししょーだよ」
 こういうときの桜子は、下手なことを言うと恐い。ゆえにオレが答えあぐねていると、オレの右肩にアゴをのせて、ひょっこりと顔を出したリンが、 珍しく無表情でそう言った。
「そうそう、オレの師匠……え?」
「へえ〜、そうなんだぁ……え?」
 オレと桜子は、語尾で完全にハモった。リンのことばに便乗して何も考えず言ってしまったオレだが、その意味を分かりかねて思わずリンのほうを見る。すごく顔が近くて驚いた。
 桜子のほうも、同じ理由で聞き返したのだろう。
「だ、か、ら、師匠だよ、拓斗くんの。それより、そっちは?」
 オレも、恐らく桜子も、”何の?”と聞きたかったのだが、  なぜだろう、答えたリンのそのことばには、すごくトゲがあるように感じられた。恐らく桜子もそれを感じ取ったらしく、少し顔を曇らせる。
「あ、あたしは拓ちゃんの幼馴染の南桜子です。桜子、でも、サクラ、でも、好きなふうによんでくださいね」
 それでも桜子は、少しはにかんだ笑顔で握手を求めた。
 しかし、リンがオレに抱きつく力を、端から見てもわかるくらいに強くすると、出した手はフルフルと震えだし、目が笑っていない笑顔になった。
 チラッと盗み見るようにして覗いたリンの顔も、同じように笑顔だが、目は笑っていなかった。正直、二人とも恐い。それにしても、リンは付き合いが浅いゆえになんともいえないが、 桜子のそんな顔を見たのは初めてだ。
「リンは海美リン、よろしくね」
 互いに出した手は、赤くなるほど握られていた。



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