2章 彼女と食べ物と魔法の日

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 昨日のことは、やはり現実に起こったことだった。今オレの隣を歩いている海美さんと、校門から少し離れた所で待っていた山綺さんがそれを物語っている。 本当は逃げ出したい、いますぐにでも。しかし、
「えへへ〜」
 なぜか海美さんがオレの手をギュっと握っていて離そうとせず、変な緊張感を与えられてしまい、そうすることは叶わない。
 もし、もしだ。海美さんが極々普通の女子中学生だったならば、手放しで喜ぶ、いや、手繋ぎで喜んでしまうだろう。なにせ海美さんは飛び切りにかわいいのだ、当然である。 しかし、そんなもしもは存在せず、海美さんは、何か怪しい技を使うアブナイヒトだ。そうそう喜んでもいられない。
「拓斗くん拓斗くん、うちについたら何かしたいことあるカナ? 何か食べる? それとも何かして遊ぶ〜??」
 そんなオレをよそに、海美さんは笑顔一杯のその顔をオレに近づけ、無邪気にそう問う。
 オレは、海美さんの家につれていかれるのか。いったいどんな家なのだろうか。いかにもオカルトっぽい品々が並んでいるのか。はたまたどこの国の言語か 分からないような本がずらりと並んでいるのか。想像は尽きないが、どれもまともなものではない。
「……リン」
 想像が、どこかの石油王が住んでいるような大豪邸にまで達したとき、さきほどまで黙って先を歩いていた山綺さんが、こちらを見ている。いやむしろ、睨んでいる。その 対象はことば通りオレではないのだが、その冷ややかな目をみただけで、油田が一瞬で枯れてしまうような気分になった。まさにヘビに見込まれたカエル状態だ。
「分かってるよーレイちゃん、遊びじゃないってことぐらいさ〜。でもでも、リンは子を育てるの初めてだし、やっぱりはしゃいじゃうんだよぉ」
「親たるもの常に冷静でいろ。そして威厳を見せろ。でなければその男は、子としてダメになる。もともとダメなようだが……」
 一瞥される。ひどいいわれようだが、何も言い返せない。
 それにしても、海美さんはよく山綺さんと普通に会話できるものだ。昨日からの会話を聞いている限り、少なくとも短い付き合いではないようだが、それくらいのことで あの迫力に動じなくなるのだろうか。それとも魔法使いの成せる技なのか。もしかして素なのか。どれにしたって、自分より年下のはずの海美さんが少し大きく見え、思わず関心してしまった。
 しかしすぐに思い直す。”魔法使いの成せる技”なんて、妙なことを考えてしまったものだ。早く魔法使いなる単語を頭の中から消去せねば。やはり、 未だに魔法というものを信じきれない。
「ところでレイちゃん、なんで魔法使って帰っちゃダメなの? のんびりのんびり〜もキライじゃないけど、リン、早く帰って拓斗くんといろいろお話したいよぉ」
 考えている側からこれだ。だが、オレの思考が働いたのはそちらではなかった。”お話したいよぉ”。この言葉、素直に嬉しいと思ってしまった。 アブナイヒトなのに、やはり、見た目の破壊力と海美さんが持つキャラ性には、オレの優柔不断な思考は敵わないようだ。
「……昨日説明したはずだ。魔法はそう易々と使っていいものではない。魔法をその男の前で使うのは、魔法の存在とそれ周辺の意味を説明してからだ。無論、その後も 安易に使うのはダメだ」
 冷ややかに告げる山綺さん。
 対する海美さんは一瞬顔を曇らせたが、
「……レアチーズケーキ先着十名様限定……」
 表情がすぐに一変し、眉をつり上げていることからも分かるのだが、繋いでいる手に痛いくらい力をこめられていて、恐らく海美さん は怒っている。そして、海美さんのその一見よく分からないことばに、沈着冷静だった山綺さんの表情が少しかわる。
 雲行きが怪しい。
「リン、知ってるもん。レアチーズケーキ買うためにレイちゃん魔法使って列に割り込んだの! しかも上級魔法使ったし。しかもしかも、リンの分買ってきて くれないしぃ〜〜」
「そ、それは……整理券が一人一枚だからしょうがなく……」
 食べ物の恨みは恐ろしい。
 海美さんの剣幕に、明らかに動揺する山綺さん。そんな山綺さんを、なぜかかわいいと思ってしまうオレ。この、魔法という単語を差し引けば、 割と普通にも聞こえるこの会話が、ひどく日常性を感じさせ、もっとありえない状況になるものだと懸念していたオレを、少し安心させてくれたのかもしれない。
「レイちゃんいっつも高くておいしそうな甘いもの食べてるし〜! ゴミ箱にシュークリームとかプリンとかのゴミがあったから分かるもん、隠れて食べたって 無駄だよっ! リンが買い物の時、百円のプリン買おうとしただけでレイちゃん、”金の無駄だ”とか”太るぞ”とかいうクセにぃ〜〜!!」
「べ、別腹……」
「意味分かんないよぉ〜〜!!」
 なんだか、話が大きくずれてきた気がする。それでも、より現実味を帯びたその会話は、さらにオレに安堵感を与えてくれた気がした。
「ぷ……あはは……!」
 気づくとオレは、思わず笑い出していた。今の会話も面白かったが、今までシリアスに考えすぎていた自分がひどく滑稽に思え、それに対して笑ってしまったのだ。
「……!」
 だが、それがいけなかった。
 そんなオレを見た山綺さんが、顔を真っ赤にしてこちらを睨んできたのだ。
「いや……あの、その……」
 自然と後ずさる。本能か。
「く、屈辱……」
 また昨日のように空を飛ばされたり、もしかしたらさらにひどいことをされるかと思ったが、どうやらそれはなかったようだ。
 そのかわりに、山綺さんはそう呟くと、
「ええええ〜〜?!」
 人間業とは思えないほどの身軽さで跳躍し、見事な弧を描いて一回転し、近くの家の屋根に着地した。そして次の瞬間には、その屋根の上を、これまたありえないほどの速さで 走り、そしてまた跳躍し別の屋根に移り、また走る、という動作を繰り返し、あっという間にオレの視界から消え去ってしまった。
「あ、ずるいよレイちゃん、自分は魔法使うし! もう、待てぇ〜〜!」
 そして、次は海美さんが、手をパンと鳴らした後、山綺さんと同様の動きをする。
「あ」
 そのときオレは、思わず海美さんに釘付けになってしまった。
 山綺さんはジーパンを穿いていたからなんの問題もなかった。が、海美さんが着ているのは制服だ。そのスカートは、同じ平面状にいるのならば絶妙な丈だったが、 そうでなければ話は別。下のアングルから見上げるオレは、ばっちりと、何か白いものを見てしまったのだ。
 やはりオレも秀也と同じオスだったようで、そんなに風に考えると、変に落ち込んでしまった。だが、ふと気づく。
「あれ……オレはどうなるんだろ……?」
 ポツンと置いていかれてしまったオレは、その場で思わずそう呟いてしまった。



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